スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

オーラスのアガり方

①見せ牌では当たらない
②腰の入った牌、及びそのスジ牌では当たらない
③シャミセン(手ジャミ含む)後にダマテンで当たらない
④オーラスでしかけて2000点(以下)のラス確しない
⑤南場でラス目、自分の親がない状況でしかけて2000点(以
 下)のアガリはしない


 今月号の「オバカミーコ」の涙溜の言です。
これについては概ね賛成ですね。④について、現行フリー雀荘ではトビ賞のある場合が主流、こういったケースでは仕方がない。跳満でトブなら2000点以下でもアガリに行くべきだろう(ちなみに私の行ってる店にはトビ賞がない)。
 ⑤については立直のみの手だとしても、言わずもがな、立直してアガリに行くべきでしょう。もちろん祝儀狙いです。そもそも南場に入った時点で、本来は全局条件戦とすべきなんでしょうが、祝儀狙いは立派な戦略です。非難される謂れもない。
 ①について、他人が見せてしまった牌についても律儀にそうしようとする人間がいるが、そこまでする必要はないと思うぞ。むしろ利用してでもアガリに行くべきだと思う。
一筒三筒四筒五筒六筒七筒八筒九筒五索六索七索中中中
本来1筒切り立直が妥当なんだろうが、2筒が見えてしまった(他人による)時があった。さすがにこの時はどうしたものかとも思ったが…

 他のブログでも「ラス確アガリ」については賛否両論のようですね。前述の通り、トブ可能性の低い局面であれば、私は無理してアガラスしようとは思っていない。やはり順位の変わるアガリか、最低でも立直による祝儀引きを狙いに行きます。もはやその可能性がない局面であれば完全撤退を決め込む。経験則になりますが、コレについては成功したことの方が多いような気がします。
 アガラスしようがしまいが、価値観は自由。どちらが正しいなんて言えっこない。結果的に自分がトップを取れなかったのであれば、それは誰のせいでもなく、自分の責任であってアガラスをした者が悪い訳でもない。

「自主規制は 自分に課すだけで 決して人には課さないこと」 ~涙溜の言~
 コレが一番重要かもしれないですね。そもそも自分の価値観を他人に押し付けるのは良くない。他人の行為に気を取られて、次局にその気持ちを持ち込んだりするのが一番最悪です。前局にあった嫌なことを引き摺ってしまうようなことは、最近ではほとんど無くなった。精神的に成長したのか、もしくは慣れてしまったのか。



 
ヽ(#゚Д゚)ノ┌┛ドカ!!))))




    



スポンサーサイト

theme : 麻雀
genre : ギャンブル

必勝法

 「麻雀というゲームにおいて、確率論は不完全である。」
 ・王牌はこのゲームの性質上、最大のブラックボックスであり、この
  存在が確率論を揺るがす大きな要因となりうる。
 ・もし麻雀が確率通りで進むのであれば、萬子・筒子・索子・字牌と
  同じ割合でツモって来るはずだし、配牌もその割合になるはず。
 ・麻雀が確率通り進行するのであれば、配牌の時点で勝負はつい
  ている。
 ・そもそも見えない部分、不確定要素が多すぎて、確率論ではカバー
  出来ない。

 有名漫画家、オカルト雀士、一部ブロガー等が「オカルト」を肯定する為に使われてるようですね。時おり散見されれますが、全てお馬鹿な論理です。「確率」というものの意味を吐き違えているとしか言いようがない。そもそも見えない部分や不確定要素があるからこそ、「確率」という概念が必要なのであって、逆に全て見えているのであれば、確立論なんて不要ということになるわけです。それに、「萬子・筒子・索子・字牌と同じ割合…」てのは論外、確率的にあり得ません。
 こういう輩はパチンコでも「300回転させてるのに当たらない!!」とか言うんでしょうね…

 だからと言って、私は最近流行の「デジタル論」を両手離しに支持するものでもない。場況や捨て牌を鑑みない「何切る」問題の正答、七対子の聴牌する確率とか、あるいはトップ率の予測など…そのようなものの平均値にどれほどの価値があるのか?麻雀は対人間のゲームであって、相対的なものである以上、単に平均を導き出す為の確率論で正答を求める手法そのものに違和感を覚えてならない。簡単に例を挙げて言ってみると、七対子の一向聴からの平均聴牌巡目数は8~9巡くらい掛かるらしいが、最後の3牌は打ち手の任意で選ばれるのです。そうであれば、誰でも山に居そうな牌を選択しますし、そもそも一巡毎に選択肢も狭まってくるでしょう。一概に「8~9巡は掛かる」と言い切れません。

 ゲームの分類に『二人零和有限確定完全情報ゲーム』と分類されるものがある。将棋や囲碁、チェスなどがそれに当たる。この分野については広く、多く研究され続け、最近ではある程度のアルゴリズムも確立されてきている。だが麻雀においては「二人」でもないし「確定」でもないから、必勝メカニズムを確立させるのは非常に困難と言わざるを得ないだろう。そういう意味でなら、単なる算数レベルの「確率論」では「麻雀と言うゲームにおいて不完全」と結論付けられたとしても、それは仕方のないことかもしれない。
 第一、古今東西の数学者でさえ研究し得ないものを、この狭い業界でのみ通用する「デジタル打法」なんて…ちょっとおこがましい気もする。

  

 ちょっとネーミング考え直そうぜ。なんとなく前時代的な気になっちまう。


 偉そげに言ってみても、かくいう自分に必勝法なるものが得られたわけでもない。なんにせよ、今ある武器で戦わないとしょうがないんですよね。
 それは麻雀だけに関わらないんだと、三十歳を回って、最近やっと気付けたようです。



ヽ(#゚Д゚)ノ┌┛ドカ!!))))



小理屈

 今回リクエストを頂いたので、ちょっとそれについて。

 以前にこんな記事を書きました(11/16記事)。ここの一番下の『離れ対子落としの形』についてです。
一索南北八筒西中
北八筒横 手出しリーチ!!
 >何通りかに形が絞り込めます。聴牌時のおよそ8割以上の確率
  で2・5筒3・6筒は通ります。逆に1・4・7筒と9筒は危険牌(もし
  くは入り目)と言えるでしょう。

 8筒を単なる対子落としでなく、2枚落とししたということは、何らかの理由が必要なわけです。ではどんな理由でそうなったのかを考えてみるとよい。結果から言うとこのケースでは、7筒か9筒がネックになっていて、どうしても8筒を一枚は持っていなくてはならない状況下にある、ということなのです。実際に形としてはこの4(もしくは5)通り。
八筒八筒九筒九筒
六筒六筒八筒八筒
五筒五筒六筒六筒七筒八筒八筒
四筒五筒六筒六筒六筒八筒八筒
 この状態から何らかの牌を1枚引いて8筒を一枚外し、様子を見ている状態です(ちなみに7筒7筒8筒8筒の形は除外。切るなら7筒が先と思われるから)。
 ①の形から2・5筒か3・6筒待ちになるには、どうしても先に何かを暗刻にしないといけないという条件が必須になります。
 ②も2・5筒待ちについては同様、それに3・6筒待ちはなり得ません。
 また、③の形からはどうしてもそうはならないし、④だけは例外で3・6筒待ちが残る可能性があります。
 要は④以外では、先に薄いほうから引かないと、2・5筒か3・6筒待ちにならないとなるわけです。
(1)三筒四筒八筒八筒九筒九筒二索三索四索七索八索中中
例えばこんな形から立直に持ち込むには、16:4の割合でシャンポン待ちしか残らないのです(辺7筒は一般的ではない)。
また②であれば
(2)三筒四筒六筒六筒八筒八筒二索二索二索四索五索八索八索
のようなタンヤオ確定形(もしくは高めタンヤオ)であれば、6筒外しが先かと思われますが、これは人によりけりかもしれませんね。立直・副露を前提におく者であればそうするでしょうが、5筒引いた後の手変わりを求める者であれば、8筒を一枚外し、聴牌してから黙聴というストーリーになるでしょうから、今回のケースに当てはまりません。プラス、②が(1)のような形であれば、同様に16:4の割合でシャンポン待ちになります。
(3)二筒三筒四筒五筒五筒六筒六筒七筒八筒八筒><img src=二索二索四索五索
 ま、これなら何にせよ、2・5・3・6筒は大丈夫そうですね。

【追記】
例えば…上記の捨牌から9索が通る確率も、そんなに大差ないかもしれません。この時、分かり易くする為にこうしただけであって、本来的な意味としては「何が通るのか?」ではなく、「どんな形なのか?」を考えることに意味があり、それは副露後・深い巡目の場合とかに意味を持ってくるものだとご理解下さい。



↓ヨロピク↓




theme : 麻雀
genre : ギャンブル

押し引き

 麻雀での「押し引き」について、以前にも何回か触れたことはあるが(過去記事⇒)、今回もちょっと持論を展開したいと思う。
 某漫画家は「先手・好形・高得点、内2つの条件で押せ」と言っていたが、これは前回に否定している通りです。「好形」か「高得点」の、どちらか一方で十分です(先手はあり得ない)。これに一つ付け足したいものは「必然性」です。何が言いたいか、簡単なものからいきましょう。
 例えば、オーラスで自分が親、トップ目から立直が入った場合です。こんなケースであれば、考えることなく誰でも押すでしょうが、この際、立直なんか入ってないものと考えて打ってもらって、全然構わないものと思います。「愚形」「低得点」であろうと、押さなくてはならない「必然性」があります。

CASE1 ~実戦譜より~
一索二索二索三索三索四索五索五索五索赤五索赤六索七索八索 ツモ一索
  ・二人立直あり
  ・2索は親、1索は両方の現物
  ・東3局 子 22000点持ち 10巡目
 はてさて何を切りましょう。オリで現物、もしくは親の現物2索?5索カンして展開次第?8索?それとも真っ直ぐ5索切り立直?
 こうなるまでに、本当は5索を一枚外して字牌単騎に取っておくことも出来たんだが、わざわざ倍満を満貫に落とすのも馬鹿らしく、そのままにしているうちに、このような局面を迎えてしまった。一見後手を引いてしまったようにも見えるが、この手で「押す」のは当然だ。じゃあどうしましょう?
 この展開で、最もあってはならないこととは何か?それは放銃することではない。仮に立直者同士で打ち合った結果、自身の点棒が減らなかったとして、それはOKなのか・・・?否、この手で収入0というのはむしろ失点と考えて良いでしょう。では何を切りましょう。1・2索切り?(⇒論外です。)8索切り?(⇒意味分かんない。)5索カン?(⇒ビビり過ぎ。)
 もう二軒立直なんか考えず、5索切り立直で全然問題ない。ここでこれが出来ない人間は、はっきり言ってヒヨリ過ぎ!!以前の記事の白切りなんかより、よほど負け組に近い存在のように思えてなりません。
 これも「必然性」の一つです。ある局面で最悪のシナリオが何かを考え、それが「アガれないこと>失点」の状況となった場合に、アガるための「必要な打牌」が問われているわけです。

 もちろんオリる「必然性」が生じる場合もあります。オーラス・トップ目、跳満ツモられても捲くられないケースとかです。こんな時は手牌にホレたりせず、「好形」「高得点」であろうとも「オリ」で全く構いませんよね。

CASE2
南2局 親 トップ目 8巡目 ドラ四筒
三筒五筒五筒六筒七筒一索二索三索五索六索七索九索九索 ツモ五筒
 ・下家ドラ切り⇒上家ドラポンで打3索
 今「ドラポンに3筒は通る、じゃあドラ切りには…(と、打3索でオリ)」
 馬「そうね。で、アタってから言うの。聴牌だから仕方がないって・・・。」
 ~『オバカミーコ』より抜粋(ちょっと改め)~
 「押し引き」を語る上で外せないものがこのパターン。既に聴牌しているケースです。
ちなみにCASE2でオリる必要性は、ほぼないと言えるのではないでしょうか。現行のフリー雀荘にて、この手・この巡目でオリていては勝てるものも勝てません。ただし『オバカミーコ』の世界観では、競技ルール・トーナメント戦決勝ですので、これをこのまま当てはめるのはちょっと暴論なのかもしれない。それでも一般的な読者は、あまりその辺のことを気にしている方も少ないでしょうからね。
 既に聴牌してる場合に「押し引き」の場面に遭遇した場合、およそ参考となり得そうなものは一点だけです。オリる「必然性」があるかどうか。もし1000点の手であろうとも、それが見当たらないのであれば押すべきでしょう。
これが仮に、相手の捨牌相があまりに偏っている場合(清一色っぽいとか)であれば、「最悪のケース」を考えましょう。「アガられる」のが駄目なのか、「アガれない」のが駄目なのか。
 でも…正直なところ、馬杉の「聴牌だから仕方がないって・・・。」ていう部分が王道のような気がしますけどね。聴牌してて相手に放銃する分は、どうにも仕方がないと思うのですが。。。どうでしょう?



←優しくね♪(人●´ω`●)→







成長

 ご存知の方も多いと思うが『はじめの一歩』というボクシング漫画がある。週間マガジンで連載中、現在85巻まで発行中の超人気作品だ。そのほとんどの試合は目の離せないものが多いが、主人公である「一歩」の試合で一つだけ異色のものがある。「一歩vsポンチャイ・チュワタナ」戦(ちょっとマニアックかも…)である。他の試合と何が違うかというと、唯一「一歩」が自分の力で、一つ成長を成し遂げたところにある。そう、デンプシーロールの発現だ。本作中では鴨川会長が「ガゼルパンチ」「超至近弾」など、ほとんどの技・戦略を一歩に授けるのだが、初めての敗戦後のこの試合で、一歩 自らの力で開発し実行することができた唯一の試合なのだ。当時これを見た時、そのその凄まじいまでの破壊力と、努力と練習とで裏付けされた初めて見る自信に満ちた一歩の姿に、私自身、武者震いを禁じえなかったものだ。
 自分が成長したことを実感できる機会というものは、人生の中でも非常に少ない出来事であろうことは間違いない。

 麻雀で初めて「読み」というものを実感したのは、中学三年生のころ。対戦相手の国士無双に対し、自分が四枚目の1索を4索と振り替え使い切り、その手をアガリ切ったときに「俺ってスゲ~!!」と、今であれば当たり前のことが出来たその瞬間は、自身の中でとても興奮したことを覚えている。まあ現実問題として、これが「読み」の範疇に入るかといえば甚だ疑問ではあるが、自分一人の力で気付き、それを成し得たことに変わりはなく、そのことは今でも忘れることがない。
 これが麻雀で、自身が一つ未知の世界に踏み込むことが出来た、成長を実感することができた、初めての瞬間だったかもしれない。


南2局 親の捨牌 ドラ七筒 親38000点 / 自分西家 42000点持ち
西一索九萬○1六索九萬○2八索                    花1枚
九筒四筒
裏裏裏裏裏裏裏○1ポン白横白白○2ポン南横南南
   ※9筒ツモ切りに一瞬の間アリ。4筒は一番左から手出し。
    左から2番目にツモった牌が入る。

自分手牌 花1枚
四索五索赤五索六索七索九索九索二筒二筒六筒七筒七筒八筒 ツモ 三索

 実戦譜です。はてさて何を切りましょう。親の捨て牌から「何待ち」かを、一点で読むことは非常に困難だと言わざるを得ない。じゃあ7筒切りで立直?それとも一旦9索を切ってタンピンへ以降?打たずにアガれた方が正解だ・・・が、いつまでも結果論的なものの考え方じゃ成長の兆しはない
 親の捨て牌を逐一、手出し・ツモ切りを見ていた訳じゃないが、明確に分かるのは6・8索は副露後なので手出し。二副露後はさすがにキチっと見ていて上記の通り。

 手牌構成から言えば、打9索か、もしくは打7筒で立直のどちらかだろう。が、私の選んだ一打は打2筒。・・・何故か?この牌は絶対にアタられることはないし、2筒と9索の立直ではアガリ目は限りなく薄い。これはシャンポンだから薄いと言ってる訳じゃなく、9索を親が二枚持っていると読んでいるからである。ポイントは6→8索外しが単なる間嵌外しではない(間に9萬があるのはおかしい)ことと、一番左端(向かって右)から4筒が出て左から二番目に牌が入った以上は、4筒より下の牌は持ってないという判断からだ。

【親の最終形予想】
四筒五筒五筒六筒七筒九索九索 ポン白横白白ポン南横南南

 いつからだろう?こういうことに気遣いしだしたのは…。結果から言えば、私に5筒が入り黙聴、9筒で子方から出アガリ満貫となった。親の最終形は分からず終い。
 これが正着かどうか知る由もない。ただ、打たずにアガれたのは紛れもない事実。こう言ってしまうと結果論でしかなくなるが、次回、同じような局面に遭遇したのならば、必ずこう相手の手牌を読み、必ず同じ打牌を繰り返す自信がある。以前から言ってるように、それが私のスタイル(今回は読みに関するスタイル)の一つなのだ。

 悪く言えば凝り固まってしまった形なのかもしれない。しかし、まだまだ未完成であろう私のスタイルにも、いずれまた成長を感じる新たな気付きがあるかもしれない。次回はそれを見逃さないようにしたいものである。でも…それに気付くには、「心」にも、「生き方」にも、今よりもうちょっと余裕が必要なのかもしれない。。。


 【今回のPOINT】
・手出し・ツモ切りなど、所作の全てについて確認する必要は無いと思うが(やれるんならやった方が良い)、副露が入った時や、赤牌が出た時くらいはちゃんと確認するようにしよう。
・相手が常時理牌してるかどうかを確認し、しているのであれば手牌の一番端っこの牌くらいは確認するようにしよう。そうすることで何待ちか絞れなくとも、安全牌は見えてくる
・逆に自分はなるべく理牌をしないようにしよう(アガった時は理牌して倒牌が常識)。副露後など特に手牌が透けます(但し、しないことで手順が疎かになるようなら話は別)
※特徴のある捨牌や動作は、慣れればさほど気にせずとも、色んな事に気付けるようになれます。




←ピチプチポッチン→







theme : 麻雀
genre : ギャンブル

株式会社 藤商事
ブログ内検索
WEB検索
カスタム検索
天和いまだ未経験
地和は一回ある
楽天市場
⇒スイーツ・カニ海鮮
和日茶日和(wabisabiyori)
⇒ココロとカラダに優しい野菜スイーツ&フード
玉華堂(ギョッカドウ)
⇒和心スイーツ専門店 創業明治23年
ポタジエ
⇒人気パティシエ柿沢安耶のクリスマスケーキ
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。