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麻雀暦20年

 よくよく考えてみると、私の麻雀暦もそろそろ20年以上だ。いやはや考えてみれば色々な人と出会ってきたもんだ。
 中三の時点では既に点数計算も完璧にマスターし、同年代にはほぼ負けなし。その当時ゲームサンターではテトリスや脱衣麻雀などが、テレビではモーニング娘や宇多田ヒカルとかがデビュー、一世を風靡していたころだ。BOØWYが引退したのはもうちょっと前くらいだったかな。

 いつのまにか面子の集まりも悪くなり、また友人同士のお金のやりとりに辟易し始めていたので、自ずとフリー雀荘に足が向いたのは至極当然の流れなのかもしれない。それは高校2年生の夏休みのこと。
 コンビニのバイトを終えた私は、一体いくらお金があれば足りるのかも分からず、貰ったばかりの給料袋を携えて、学校からも家からもちょっと離れた雀荘に向かう。その足取りは軽いが、不安8割・期待2割といった感じだったと思う。
 【お一人様歓迎】の看板の前に立ったとき、「やっぱ止めようかな。友達に電話して面子集めようかな…」と尻込みをし、扉の前を行ったり来たり、通り過ぎて店内を伺ったりもしていた。
 一体どれくらいの時間が流れたのだろう。1時間だったのかもしれないし、あるいは10分くらいだったのかもしれない。やっとこさ腹を決め、そぞろ歩きのまま扉の前に立つ。
「どないしんたんや、兄ちゃん。入るんか?」

 この日、初めてフリー雀荘の門を叩く。ギャル雀なんかない頃の、まだまだ麻雀に対しアングラなイメージしかない頃のお話です(今もあんまし変わんないかな?)。

 あれから十余年。未だ麻雀に没頭してるいことを昔の自分は想像だにすべくもなく、まさかそれを糧にしているとは、現在の自分にもそこはかとなく現実味がないとさえ感じる。

 普通の物語や小説なら「当時のことは今でもよく覚えている」とか「これが初のアガリ手だ」とか話が続くんでしょう。舞い上がっていたのか、実のところあんまし覚えていないんです。覚えている事と言えば、声をかけてくれた男が人柄の良い店長であったこと。その店長は本当に気遣いがよく、「この兄ちゃん初めてやから加減したってな。」とほんの数時間で入れ替わるお客さん全員に声を掛けてくれていた。

 今でも場末の雀荘の雰囲気は好きだ。24時間営業のフリー雀荘は確かにいつでも打てて利便性は良いが、なんだか落ち着かないしゲーム代も高い。

メンバー数人並んで:「○○様、いらっしゃいませ~。本日もごゆっくりお楽しみ下さいませ~。」(深々とお辞儀)
なんだかソープランドのご挨拶みたいだ。尻がむず痒い。

 高校を無事に卒業するも大学を中退し、色んなことが重なって関西を離れ、東海地方のとある会社で働くこととなるも直に辞めざるを得なくなる。今の身分は根無し草…

 昔の自分は将来をバラ色に考えていた。サラリーマン金太郎を読んで「三田善吉先生みたいになりたい!」とか、代紋TAKE2を読んで「仲西の兄貴みたいになりたい!」とか馬鹿なことも考えたりもしたが、それでも「こうなりたい!」という人物像があった。

  「奴は…死ぬまで保留する。」
  (アカギVS浦部:アカギの台詞~アカギ単行本より~)

昔の私に響かない。今の私にはかなり痛い(鬱ワードぶっちぎりのNO.1)。


 時間は常に進んでる。私は前に進んでいるんだろうか?止まったままなのだろうか?それとも…。拭いきれない不安をこうやってぶちまけることで、多少でも安らごうとしている(お目汚し申し訳ない(T T))。


 
 
昔の自分よさようなら。今の自分にこんにちは。




←(T T)→


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信号

 まだ私が社会人一年生くらいの、ちょっと昔のお話。

 彼はSさんといい、私より二回りくらい年上の男性で、誰からも好かれるような人の好いタクシーの運転手だ。当時の行きつけの雀荘の一つで週に2回くらい来ては、勝っても負けても、いつも楽しそうに打つその姿は微笑ましくさえあった。
 

 いつの頃からかSさんはパッタリと姿を現さなくなった。別に雀荘でそういう出来事は珍しいことでもない。「最近○○さん見なくなったね」。こんな会話は、フリー雀荘に足しげく通ったことのある人間であれば、誰でも耳にしたことのある言葉だと思う。
 その店のマスターの話では、母親が病気で入院、奥さんとは離婚調停中だったとは聞いてはいた。しかし私自身その姿を見るわけでもないし、常日頃から付き合いのある訳でもなく、麻雀店だけで顔をつき合わす程度の間柄。「大変なんだな・・・」くらいの感覚しかなく、それ以上の感情も持つこともなかった。


 一年くらい経過したであろうか。ある夜のことの出来事。
 
 週末深夜1時過ぎ、屈託のない変わらぬ笑顔で「久しぶり~」などと言いながら、Sさんがブラリと店に顔を出した。後々に気付かされた事ではあったが、その風貌は若干変わっていて、酒が入っているのかどうかは知らないが顔は赤く、体系も明らかに痩せていた。
 店内の人間は、Sさんの風評を少なからず知っていたかもしれないが、皆、温かい笑顔で迎えることが出来たと思う。

 週末ということと時間帯も重なり、店内は満卓。私はちょうどその時、20,000Gくらいのプラスだし、翌日は昼から出勤ということもあったので、ラス半を掛けて彼に席を譲ってあげることにした。ただこのまま帰るのもつまらない気がしてので、ちょっとだけ見学して帰ることにする。
 Sさんの麻雀を後ろから見るのは初めてではない。当時の私の印象としては、押し引きのバランスは悪いが、捌きはしっかりしてる。「放銃しないこと=麻雀が上手い」と思ってる守備重視のタイプではあるが、信頼できる打ち手の一人だった。

 Sさん手牌 ラス前  親  ドラ・花なし
一筒二筒三筒五筒六筒一索二索三索四索五索七索八索九索 ツモ三索
 S氏は親。数巡前に子方の立直が入っており、場は終盤に差し掛かったぐらい。5筒も6筒も危険なのにも関わらず、打6筒としてこんな形にした。
一筒二筒三筒五筒一索二索三索三索四索五索七索八索九索

 ・・・ちょっと首を一ひねりしてしまう。現物1索か、スジの3索ツモ切りで良いのでは?次巡5索をツモり打5筒とし、あえなく子方の立直の御用となっていた。

 おかしい。Sさんの麻雀はもっと繊細だった。ある意味で臆病なくらいだったはず。私はその半荘だけを見て、雀荘を後にすることにした。
 

 3ヶ月くらいに後、TVでSさん餓死のニュースを聞く。はっきり言ってにわかには信じがたい、衝撃のニュースだった。一人で部屋に居るところを母親が発見したそうだ・・・。

 彼は何をどう思い詰めていたのか分からない。通常の精神状態で餓死なんか出来る筈もない。
 あの日の彼は拙攻ままならず、負けが込んでいったと聞いた。最後の半荘は店に5,000Gのアウトで卓を洗い、所在無くマスターと雑談したり、雑誌とか読んでいたそうだ。
 今から思えばおかしくなってたのは麻雀だけではない。タクシーの運転手が週末の深夜などに、顔を赤くして雀荘に来れるはずもないし、事実、以前にそんなことは無かった。いつもと違う思考、いつもと違う所作、彼は何かしらの信号を発し続けていた。
 彼はあの時、最後まで人懐っこい笑顔を絶やさなかったのだろうか・・・。

 人間誰しも浮き沈みはある。それに、小さな穴ぼこに落ちてしまうこともある。ただ、穴ぼこくらいなら誰かが手を差し伸べれば、直ぐに這い出ることも出来るかもしれない。

 あの夜、私はSさんのその信号に気付いていれば、手を差し伸べることが出来たであろうか?否、少なからずいつもと違う様子には気付いていたはずだ。まさか、そこまで思い詰めていたとは気付くべくも無いが、何かしら言葉をかけることはできた。確かに雀荘とは、そういう場所ではないかもしれない。でも、Sさんは確実にいつもと違う信号を発し続けていたのだ・・・。
 私は目をつむっていただけ。今も、そうなのかもしれない。

~~~~~~~~~~~~~~~~
 S「ロン!!ザンニ!!」
 私「はいはい、ザンニね。」と4000点を支払う私。
 S「ちょっと足りないよ!四暗刻単騎でザンニってのは32000点!!」
 客「なんだそりゃ!(笑)」
 私「はは・・・(苦笑い)」
 S「わ~はっはっは~!!(大笑)」

~~~~~~~~~~~~~~~~
そんなやり取りが許されたのも、Sさんの人柄あってゆえのこと。

 もう10年位前のお話。

 
 今夜も一人、無力感に苛まされる。



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