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信号

 まだ私が社会人一年生くらいの、ちょっと昔のお話。

 彼はSさんといい、私より二回りくらい年上の男性で、誰からも好かれるような人の好いタクシーの運転手だ。当時の行きつけの雀荘の一つで週に2回くらい来ては、勝っても負けても、いつも楽しそうに打つその姿は微笑ましくさえあった。
 

 いつの頃からかSさんはパッタリと姿を現さなくなった。別に雀荘でそういう出来事は珍しいことでもない。「最近○○さん見なくなったね」。こんな会話は、フリー雀荘に足しげく通ったことのある人間であれば、誰でも耳にしたことのある言葉だと思う。
 その店のマスターの話では、母親が病気で入院、奥さんとは離婚調停中だったとは聞いてはいた。しかし私自身その姿を見るわけでもないし、常日頃から付き合いのある訳でもなく、麻雀店だけで顔をつき合わす程度の間柄。「大変なんだな・・・」くらいの感覚しかなく、それ以上の感情も持つこともなかった。


 一年くらい経過したであろうか。ある夜のことの出来事。
 
 週末深夜1時過ぎ、屈託のない変わらぬ笑顔で「久しぶり~」などと言いながら、Sさんがブラリと店に顔を出した。後々に気付かされた事ではあったが、その風貌は若干変わっていて、酒が入っているのかどうかは知らないが顔は赤く、体系も明らかに痩せていた。
 店内の人間は、Sさんの風評を少なからず知っていたかもしれないが、皆、温かい笑顔で迎えることが出来たと思う。

 週末ということと時間帯も重なり、店内は満卓。私はちょうどその時、20,000Gくらいのプラスだし、翌日は昼から出勤ということもあったので、ラス半を掛けて彼に席を譲ってあげることにした。ただこのまま帰るのもつまらない気がしてので、ちょっとだけ見学して帰ることにする。
 Sさんの麻雀を後ろから見るのは初めてではない。当時の私の印象としては、押し引きのバランスは悪いが、捌きはしっかりしてる。「放銃しないこと=麻雀が上手い」と思ってる守備重視のタイプではあるが、信頼できる打ち手の一人だった。

 Sさん手牌 ラス前  親  ドラ・花なし
一筒二筒三筒五筒六筒一索二索三索四索五索七索八索九索 ツモ三索
 S氏は親。数巡前に子方の立直が入っており、場は終盤に差し掛かったぐらい。5筒も6筒も危険なのにも関わらず、打6筒としてこんな形にした。
一筒二筒三筒五筒一索二索三索三索四索五索七索八索九索

 ・・・ちょっと首を一ひねりしてしまう。現物1索か、スジの3索ツモ切りで良いのでは?次巡5索をツモり打5筒とし、あえなく子方の立直の御用となっていた。

 おかしい。Sさんの麻雀はもっと繊細だった。ある意味で臆病なくらいだったはず。私はその半荘だけを見て、雀荘を後にすることにした。
 

 3ヶ月くらいに後、TVでSさん餓死のニュースを聞く。はっきり言ってにわかには信じがたい、衝撃のニュースだった。一人で部屋に居るところを母親が発見したそうだ・・・。

 彼は何をどう思い詰めていたのか分からない。通常の精神状態で餓死なんか出来る筈もない。
 あの日の彼は拙攻ままならず、負けが込んでいったと聞いた。最後の半荘は店に5,000Gのアウトで卓を洗い、所在無くマスターと雑談したり、雑誌とか読んでいたそうだ。
 今から思えばおかしくなってたのは麻雀だけではない。タクシーの運転手が週末の深夜などに、顔を赤くして雀荘に来れるはずもないし、事実、以前にそんなことは無かった。いつもと違う思考、いつもと違う所作、彼は何かしらの信号を発し続けていた。
 彼はあの時、最後まで人懐っこい笑顔を絶やさなかったのだろうか・・・。

 人間誰しも浮き沈みはある。それに、小さな穴ぼこに落ちてしまうこともある。ただ、穴ぼこくらいなら誰かが手を差し伸べれば、直ぐに這い出ることも出来るかもしれない。

 あの夜、私はSさんのその信号に気付いていれば、手を差し伸べることが出来たであろうか?否、少なからずいつもと違う様子には気付いていたはずだ。まさか、そこまで思い詰めていたとは気付くべくも無いが、何かしら言葉をかけることはできた。確かに雀荘とは、そういう場所ではないかもしれない。でも、Sさんは確実にいつもと違う信号を発し続けていたのだ・・・。
 私は目をつむっていただけ。今も、そうなのかもしれない。

~~~~~~~~~~~~~~~~
 S「ロン!!ザンニ!!」
 私「はいはい、ザンニね。」と4000点を支払う私。
 S「ちょっと足りないよ!四暗刻単騎でザンニってのは32000点!!」
 客「なんだそりゃ!(笑)」
 私「はは・・・(苦笑い)」
 S「わ~はっはっは~!!(大笑)」

~~~~~~~~~~~~~~~~
そんなやり取りが許されたのも、Sさんの人柄あってゆえのこと。

 もう10年位前のお話。

 
 今夜も一人、無力感に苛まされる。



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